2008年11月20日木曜日

松江城地選定の地

 慶長年間、堀尾吉晴・忠氏親子が、床几(折りたたみ式の椅子)に座って、松江を見下ろし、極楽寺山(亀田山)に城を移すことにしたといわれる場所です。この伝承から、この山を床几山(しょうぎさん)と呼ぶようになったそうです。
 豊臣期以降、兵農分離政策によって、家臣団が城下に居住しなければならなくなると、安来市広瀬町の山あいにある、それまでの月山富田城では手狭になりました。そこで、より広く、水上交通にも便利な場所に城や城下町を築く必要になったのです。
 松江城や城下町の建設工事は、慶長12(1607)年から始まり、慶長16(1611)年に完成しました。(国史跡・松江城>>http://matsuesns.jp/bbs/bbs_list.php?root_key=3186&bb...

 広場にある大仏は、日清戦争で亡くなった島根県出身者を慰霊するため、1896(明治29)年に建造されたものです。原型の木彫仏像は、雑賀横浜町出身の彫刻家・荒川亀斎(1827~1905)が制作。現在、松江市邑生町清安寺に安置されています。

 同じく広場のなかには、佐々木文尉頌徳碑(ささきぶんじょうしょうとくひ)があります。佐々木文尉(1852~1892)は、海軍軍医。1879(明治12)年、島根県医学校の総長になり、教育や診療に活躍しました。明治27(1894)年、教え子らによって頌徳碑が建てられました。(佐々木文尉頌徳碑>>http://matsuesns.jp/bbs/bbs_list.php?root_key=3281&bb...

 また、広場に登る階段の下には、森本文斎(もりもとぶんさい)の碑があります。森本文斎(1859~1913)は、明治初期の産婦人科医。1891(明治24)年、私立産婆養成所を開設しました。1913(大正2)年に亡くなり、翌年、教え子らによって記念碑が建てられました。(森本文斎碑>>http://matsuesns.jp/bbs/bbs_list.php?root_key=3280&bb...

 また、同じ床几山の上には、公園になっている旧床几山配水池があります。国登録文化財に登録されている、大正5~7年頃に作られた洋風の建物、門などが残っています。(床几山配水池>>http://matsuesns.jp/bbs/bbs_list.php?root_key=3275&bb...

 国道9号線から雑賀本町にはいり、洞光寺(とうこうじ)に参拝してから、坂道を歩いて上がっていくとよいでしょう。松江市街を見下ろす眺望は抜群です。(洞光寺>>http://matsuesns.jp/bbs/bbs_list.php?root_key=3279&bb...

 参考文献
松尾寿ほか2005『島根県の歴史』山川出版社



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