2012年6月9日土曜日

第46回島根大学ミュージアム市民講座「石見銀山の銀はどこからきたの?」を開催しました。

本日午後は、三瓶自然館学芸員の中村唯史先生をお迎えし、第46回島根大学ミュージアム市民講座「石見銀山の銀はどこからきたの?」を開催しました。

石見銀山は、中世から近世初頭にかけて、日本のみならず世界の経済に影響を及ぼすほどの銀を産出した銀鉱山です。これほど大きな影響力を持っていた石見銀山ですが、地質学的にみて銀鉱山としての規模はそれほど大きくないそうです。


なぜ、石見銀山は鉱床規模が小さいにも関わらず、世界的な影響力をもつ銀鉱山となりえたのでしょうか?

石見銀山のなかに埋もれる鉱床のひとつ、「福石鉱床」は軟質であったため、掘削と粉砕が容易でした。こうした条件は、手作業で採鉱から製錬までを行う時代には、きわめて有利だったようです。

また、石見銀山では1533年に「灰吹法」という当時のハイテク精錬技術が導入されたと伝えられています。これは、鉱石に鉛を加えて溶かし、含銀鉛とその他の成分に分離、さらに含銀鉛を灰の上で熱して銀を取り出す技術です。この技術によって、石見銀山の産銀は増大しました。

「灰吹法」で銀を取り出すには条件があります。それは、銅を多く含まない鉱石を対象とすることです。「灰吹法」では、銀と銅の分離まではできません。その点で、石見銀山の「福石鉱床」は含銅鉱物がごく少量のため、灰吹する工程のみで銀を得ることができたのです。つまり、石見銀山の鉱石は取り出しやすい鉱石でした。このことは、16世紀の段階で銀の量産に成功した要因として見逃すことができないようです。

以上のような石見銀山の鉱床は、170万年前頃の噴火活動によってできた「仙ノ山」火山の高温の温泉活動(熱水活動)で形成されました。

熱水は、地下深部では200300度以上の高温で存在しています。高温の水は金銀銅をはじめ様々な金属成分を溶かし含んでいることがあります。こうした熱水が、地上付近まで金銀銅などを運び、岩盤の割れ目に鉱床を形成します。

「仙ノ山」の場合、山体が土砂状なので、鉱液は礫や砂粒子のすき間に染み込み広がりました。鉱液が広く染み込んだことで、掘りやすく、大きな鉱床が形成されたようです。


今回の講義では、石見銀山の形成過程にかかわる地質学的な話を、分かりやすく噛み砕いて解説していただきました。石見銀山の間歩と同様、大変奥深い内容でした。


後半には聴講された方々から、活発な質問がなされました。次に石見銀山を訪れる際は、本日のお話をふまえた地質学的な視点からも見学していただければ幸いです。

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