第47回ミュージアム講座「16世紀の列島社会と石見銀山」を開催しました。

本日午後は、島根大学公開講座石見学Ⅰ~世界遺産・石見銀山と中近世の石見(平成24年度島根大学ミュージアム市民講座第1ステージ)の第3弾、「16世紀の列島社会と石見銀山」を開催しました。


今回の講師は、文献史の長谷川博史先生(島根大学教育学部教授)でした。


16世紀、中国の明では銀の需要が増大し、日本から年間最大200tもの銀が輸出されていたそうです。こうした日本産の銀のなかで、石見銀山は大きな位置を占めていました。こうした状況のなか、その重要性から、大内・尼子・小笠原・毛利の諸勢力が、石見銀山の争奪を繰りひろげていました。


「石州銀山紀聞」「銀山旧記」によれば、最盛期の石見銀山には、家数が26,000軒もあったと記されています。発掘調査の成果では、この頃のたくさんの町屋遺構が発見されています。

様々な文書などによれば、石見銀山の都市に住んだ人々は、安芸、備中、摂津、和泉など、遠隔地から出稼ぎ的にやってきていたようです。

また、16世紀後半には、毛利氏による銀山への大増税が行われ、たまらず故郷に逃亡する者もいたようです。

このように、当時の石見銀山は、様々な地域の出身者がやってきて、また帰っていったという、非常に流動性の高い、日本でも有数の巨大鉱山都市だったと推定されています。

様々な文書や絵図、発掘調査成果による、本日のお話を聴講し、改めて、石見銀山の歴史的価値の大きさを学ぶことができました。

次回の講座は、8/18、「真宗信仰の広がりから見た近世石見地域の特質」です。ご期待ください。


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