第6回島根大学ミュージアム特別講座in広島「中国山地の暮らしと文化-たたら-」を開催

 本日午後、広島市中区の広島市まちづくり市民交流プラザにて、第6回島根大学ミュージアム特別講座in広島「中国山地の暮らしと文化-たたら-」を開催しました。この講座は、島根大学が平成26年3月9日(日)に開催する「古代出雲文化フォーラムⅡ」のプレ企画として行っているものです。

 今回の講師は、島津邦弘先生(元中国新聞編集局次長・元比治山大学教授)でした。先生は、30年以上にわたって中国山地の山間部を歩かれて、この地域の風土、暮らし、文化について取材してこられた方です。今回は、中国山地に展開した「たたら」の変遷について概観しながら、当地の人々の営みについてお話いただきました。

 なだらかで女性的な山並みをもつ中国山地は、砂鉄を多く含む風化花崗岩からなっており、比較的雨が多いことから木炭の原料となる樹木がよく育つ環境にあります。こうした風土は、鉄生産にうってつけでした。8世紀の『出雲国風土記』には鉄生産の記事がみえ、20世紀まで脈々と製鉄が行われてきました。

 中国山地を歩くと、例えば島根県邑智郡邑南町の矢上盆地をはじめ、随所に砂鉄採取によって改変された鉄穴流し地形をみることができます。また、赤川や濁川など、鉄穴流しによって汚濁した河川を思わせる名前の川があります。このようにかつて盛んに行われていた「たたら製鉄」のなごりを現在もうかがうことができます。

 また、たたら製鉄は、砂鉄採取・製炭・たたら操業・大鍛冶・輸送などに関わった、多くの労働者が動員される裾野が広い一大産業でした。近世には、多くのたたら経営者が繁栄を謳歌しましたが、幕末・明治にはいると、製鉄が洋式化され、衰退する運命をたどることになります。

 たたら製鉄が衰退して100年以上がたった現在、中国山地の集落は、過疎化によって疲弊し、苦悩しています。これからのこの地域をどのように再生していくのか、簡単に答えは見つかりませんが、その解決は中国地方の将来にとって最も重要な課題であるといえるでしょう。

 
 6回にわたってお送りしてきた島根大学ミュージアム特別講座in広島も今回が最終回でした。毎回、多くの広島の皆様に大変熱心に聴講していただき、まことにありがとうございました。これを機会に、出雲についてより深く関心をもっていただき、島根県の遺跡博物館へもぜひお出かけいただければ幸いです。

 毎月、松江から広島へ通うのは大変でしたが(本日は、広島では珍しい大雪のため、高速道路が通行止めで、片道4時間以上もかかりました・・・)、やりがいのある企画だったと思います。毎回、一緒に準備・運営していただいた島根大学広島オフィスや総務課の皆様には、改めて感謝いたします。
 

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