2014年8月23日土曜日

第71回ミュージアム講座「上海‐松江 増田渉と魯迅」を開催しました。

 本日午後、「日本の隣国・中国の歴史・文化を学ぶ」シリーズの最終回である、第71回ミュージアム講座「上海‐松江 増田渉と魯迅」を開催しました。

 今回の講師は、中国文学をご専門にされている内藤忠和先生(島根大学法文学部准教授)でした。
 内容は、松江市鹿島町出身で、島根大学・大阪市立大学・関西大学の中国文学教授をつとめられた、わが国の魯迅研究の第一人者である増田渉先生(1903-1977)と魯迅先生との国際交流についてでした。

 1931年、上海に渡った増田渉は、魯迅の自宅を教室に、毎日マンツーマンで『中国小説史略』などの講義を受けました。 『阿Q正伝』『狂人日記』などの小説が有名な魯迅ですが、中国における古代以来の小説史をまとめた彼の『中国小説史略』は、中国文学を研究するうえで高く評価されている業績です。増田は、魯迅が開拓した中国小説史の分野を外国人としては最も詳しく受け継いだといえます。

 増田は魯迅について、「けっして教訓したり説教したりする、おっかない、遠慮を覚えるような人間としてではない・・・およそ威厳などという押しつけるようなものは毫も感じない、・・・だがとにかく信頼してよっかかる気持ちになれる人」と述べています。

 1931年は満州事変が勃発し、日中関係が緊迫化した時期でした。このような時期に、敵国の若者を自宅に招き、手取り足取り自身の著作について講義するという行為は、簡単にできることではないでしょう。国籍や党派によって人を区別しない、魯迅の人となりが分かります。こうした魯迅の誠実な態度は、彼自身が、仙台医学専門学校(現在の東北大学医学部)に留学していたころ、恩師であった藤野厳九郎先生から分け隔てなく指導してもらったという経験からきているもののようです。

 増田が帰国した後も二人の交流は、文通によって続きました。また、1936年、魯迅が亡くなると、増田は『大魯迅全集』を発行し、生涯を通じて魯迅の人柄と業績を日本に伝えることに心血を注ぎました。また、大学では多くの教え子を育て、日中友好の裾野を広げることに尽力しました。

 なお、増田と魯迅の手紙や魯迅が増田に送った漢詩などの史料は、松江市立鹿島歴史民俗資料館に常設展示されています。


上海に今も残る魯迅の旧居などの写真も見せていただきました。
 「日本の隣国・中国の歴史・文化を学ぶ」シリーズは、今回で終了しました。先生方のお話を拝聴し、中国に限らず、諸外国と付き合っていく際には、その国の歴史や文化を様々な視点から学んだうえで、世論に一面的に流されるのではなく、個人個人が主体性をもって交流していく必要性というものを感じた次第です。
 このシリーズは、毎回多くの方々に聴講いただきました。また、機会があれば企画していきたいと思います。
 講師の先生方、受講者の皆様、どうもありがとうございました。

 10月からは、第2ステージ「松江城下町の歴史と近代建築」が始まります。ご期待ください。
 

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