2016年2月20日土曜日

第85回ミュージアム講座「石棺式石室と黄泉の国訪問譚 -九州・山陰・畿内とその境界-」を開催しました。

 本日午後、第85回ミュージアム講座「石棺式石室と黄泉の国訪問譚 -九州・山陰・畿内とその境界-」を開催しました。この講座は、島根大学古代出雲プロジェクトセンターのメンバーがリレー形式で講義する、平成27年度島根大学ミュージアム市民講座第2ステージ「遺跡から探る『古代出雲』の成り立ち」の第4弾になります。

 本日の講師は、岩本崇博士(島根大学法文学部准教授・島根大学ミュージアム兼任研究員)が務められました。

 今回は、6世紀から7世紀の古墳にみられる横穴式石室(出入り口が横にある石室)の様相から、8世紀の記紀に登場する黄泉の国の神話について考えるという興味深いお話でした。

 『古事記』にみられる黄泉の国の神話は、以下のようなものです。イザナギノミコトは、黄泉の国に行った亡き妻であるイザナミノミコトを連れ戻すために会いに行きます。イザナギは、黄泉の国の御殿の「とざし戸」の内側にいるイザナミに向かって「帰ろう」と誘いますが、イザナミは、すでに「黄泉戸喫(よもつへぐい、黄泉の国の飲食物を摂取すること)」をしたため帰れないと言います。そしてイザナギは、「黄泉の国の神と相談する間、けっして自分を見ないように」というイザナミとの約束を破って、御殿の中に入ってしまいます。そこでウジがたかったイザナミを見てしまい、あわてて逃げ帰ります。その途中、出雲の黄泉比良坂を「千引(ちびき)の石(大きな石)」で塞ぎ、イザナミに事戸(ことど、別離の言葉)を渡すのです。

 以上の神話は、6世紀から7世紀の古墳にみられる横穴式石室の状況を想起させます。すなわち、「とざし戸」のある御殿が遺体が葬られた玄室黄泉比良坂が横穴式石室の入口前にある羨道(せんどう)千引の石が羨道を閉塞する石に対応するわけです。また、石室内で見つかる土器や貝殻・魚骨などから想定される死者に対する食物供献行為は、「黄泉戸喫(よもつへぐい)」を思わせます。

 この時期、出雲では、「石棺式石室」という地域性の強い横穴式石室の一種が成立しています。大きな板石を組み合わせた家の形をした石室です。石室内部には蓋がある閉ざされた棺ではなく、遺体が見える開かれた棺が置かれ、石室の入口は、板石で閉塞されます。このような構造は、先に見た、黄泉の国の神話に登場する、「とざし戸」のある御殿やイザナギがイザナミの遺体を見てしまう内容とも良く一致しています。
石棺式石室(安来市飯梨岩舟古墳
以上のようなことから類推すると、出雲の石棺式石室における葬送行為と黄泉の国の神話とは、あながち無関係ではないのかもしれません。物質資料を研究材料にしている考古学にとって、古代の神話や死生観にアプローチすることは、難しいテーマではありますが、一方で興味深く、重要な課題でもあります。聴講した方々も、神話の世界に思いをめぐらせながら、熱心に講義に耳を傾け、最後は多くの質問もなされました。今回も大変面白い講座となりました。

 次回は、このシリーズの最終回、「先史・古代東アジア海域交流の一側面 -朝鮮半島・北部九州・山陰-」【3/19】です。ご期待ください。

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