第5回島根大学ミュージアム特別講座in広島 part2「東アジアのなかの古代出雲」を開催しました。

 2月4日(土)、広島市まちづくり市民交流プラザ(広島市中区)にて、第5回島根大学ミュージアム特別講座in広島 part2 「東アジアのなかの古代出雲を開催しました。

 この講座は、平成25年度に島根大学ミュージアム特別講座in広島「出雲文化へのいざない」を開催した際、大変好評で、再度の開催要望が多く寄せられたことから、パート2として企画したものです。

 今回の講師は、古代史を専門に研究されている大日方克己先生(島根大学法文学部教授)が務められ、東アジア世界の視点から奈良・平安時代の出雲について解説されました。

 まず、『出雲国風土記』に記述された「国引き神話」について紹介し、海の彼方からコシ(北陸)や新羅の一部を引っ張ってきたという神話の世界観が、国際交流が盛んだった天平という時代を背景にしている可能性を説明されました。『出雲国風土記』が編纂された天平時代は、遣唐使、新羅使、遣新羅使などによる交流が盛んに行われていたのです。

 なお、「国引き神話」にみられるような、陸地が漂ったり、引き寄せられたりする話は、中国の古典(5世紀の『南越志』)や中世の出雲国鰐淵寺・伯耆国大山寺の文書や「千家家文書」などにもみられるようです。

 また、7世紀から8世紀にかけて、朝鮮半島や中国東北部には、統一新羅や渤海国が成立し、活発に海を介した交易が行われるようになりました。9世紀には、渤海使が日本海を渡って山陰にやって来るようになり、黒テンの毛皮や経典、なかにはタイマイの酒杯といった珍奇な文物がもたらされました。

 こうした日本海を介した山陰と大陸との交流は、渤海国が滅亡した10世紀以降、衰退していき、博多を拠点にした交易に集約されていくようです。しかし、室町・戦国時代になると、再び山陰と朝鮮半島との交易・交通が発展していき、石見銀山のような世界的な鉱山の開発にもつながっていくようです。

 会場は今回も満席で、地勢的に大陸と向かい合った古代出雲を舞台にした東アジアとのダイナミックな交流について、広島の方々に考えていだくことができたようです。
◆関連記事

コメント