第107回島根大学総合博物館市民講座「弥生墳墓からみた出雲と諸地域の交流」を開催しました。

 本日午後、島根大学総合博物館の隣にある島根大学生涯教育推進センターICT推進室で、第107回島根大学総合博物館市民講座「弥生墳墓からみた出雲と諸地域の交流」を開催しました。この講座は、平成30年度島根大学総合博物館市民講座第2ステージ「古代出雲と諸地域の交流を探る」 の第1弾です。
 今回の講師は、当館の会下和宏副館長が務め、出雲の弥生墳墓の諸要素からみた他地域との交流について解説しました。
 弥生前期の出雲では、松江市堀部第1遺跡などで「配石墓」と呼ばれる地上に標石を置いた墓が見られます。類似した墓は九州北部にも見られることから、日本海ルートで伝わってきた可能性があるようです。
 弥生中期中葉になると、「貼石方形墓」と呼ばれる方形墳丘の裾に石を貼った墳丘墓が、東は丹後半島、西は石見西部まで見られるようになります。
 さらに弥生中期後葉(紀元前1世紀頃)になると「四隅突出型墳丘墓」が出現します。これは、「塩町式土器」が分布する江の川水系中上流域の備後北部から出雲平野にかけての地域で成立したようです。「四隅突出型墳丘墓」は、弥生後期後葉になると日本海ルートによって隠岐や北陸などにも分布をひろげます。
 王墓と呼ばれる「四隅突出型墳丘墓」の出雲市西谷3号墓は、吉備の土器が出土し、中国産の朱が敷かれ、地中海に起源をもつソーダ石灰ガラス製の玉が副葬されるなど、当時、広域の交流があったことを物語っています。
 講座のあとは、総合博物館展示室で関連する弥生土器なども見学されました。

 次回は、3月9日(土)、第108回「出雲に来た渤海人」です。ご期待ください。

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