2019年8月24日土曜日

第113回島根大学総合博物館アシカル講座「海のたたら、川のたたら ~ 石見のたたら製鉄 ~」を開催しました。

 本日午後、第113回島根大学総合博物館アシカル講座「海のたたら、川のたたら ~ 石見のたたら製鉄 ~」を開催しました。この講座は、『石見学III』シリーズ(まつえ市民大学連携講座)の第3弾になります。
 今回は、たたら製鉄研究の第一人者、角田徳幸先生(島根県教育委員会・島根大学嘱託講師)から、石見地域に展開した海辺や川沿いに立地するたたら製鉄について解説していただきました。
 石見地域の日本海沿岸には、「海のたたら」と呼ばれるたたらが分布しています。これらは、長期間にわたって操業していたことが特徴です。大田市の海岸にある百済鈩(くだらたたら)は約190年間、静間村鈩(しずまむらたたら)は約180年間、宅野鈩(たくのたたら)は約110年間もの長期にわたって操業していたことが分かっています。
 また、江の川沿岸には、「川のたたら」と呼ばれるたたらが分布しています。江津市の桜谷鈩(さくらだにたたら)は約160年間、恵口鈩(えぐちたたら)は約120年間も操業しており、こちらも長期間にわたっています。
 出雲地域山間部のたたら製鉄では、数十年で操業場所を移動することが普通でしたが、石見地域にみられるこうしたたたら製鉄は、かなりの長期間にわたって同じ場所で操業されています。これはどうしてでしょうか?たたら製鉄では大量の砂鉄や木炭を使用します。しかし、こうした資源が枯渇してしまうと場所を変えざるをえません。これに対し、石見の「海のたたら」「川のたたら」では、近くには船着き場があり、船で砂鉄や木炭を運び込んだり、出来上がった鉄を搬出するのが容易にできたのです。
 石見地域では、主に「銑(ずく)」と呼ばれる、炭素量の多い鋳物に使用される鉄が生産されました。銑は安価なため、薄利多売の必要がありましたが、日本海や江の川沿岸に立地するこうしたたたらでは、船による輸送の利便性に優れていたため、採算性が維持できたようです。
 なお。本日の講演の内容は、『たたら製鉄の歴史(歴史文化ライブラリー)』(角田徳幸著)でも読むことができます。ご一読ください。

次回のアシカル講座は、「地図から読み解く石見の集落 ~ なぜ石見は過疎発祥の地となったのか ~」(9/7、13:00~14:30)です。引き続き、よろしくお願い致します。

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