本日午後は、第137回アシカル講座「縄文・弥生時代の石見」を開催しました。この講座は、令和5年度アシカル講座第1ステージ「石見学Ⅳ 石見地域の自然・歴史資源を学ぶ」の第1弾になります。
今回は、当館の会下和宏館長が、石見地域における縄文時代から弥生時代の遺跡の様相について、最近の発掘調査成果などもまじえながら解説しました。
まず縄文時代では、縄文後期(約4500~3300年前)になって遺跡が増加すること、特に日本海臨海部や江の川水系流域、高津川水系流域に分布することなどの解説がありました。なかでも益田市匹見町の縄文遺跡では、土偶や玉類など、西日本では希少な遺物が見つかっており、注目されるようです。
弥生時代では、集落や青銅器、墓についての解説がありました。集落遺跡としては、最近の調査で、益田市羽場遺跡から弥生中期の大陸製鋳造鉄器が出土していること、江津市森原下ノ原遺跡や美郷町沖丈遺跡から鉄器を製作している痕跡が見つかっていることなどの紹介がありました。
浜田市上条遺跡や邑南町中野仮屋遺跡からは、大正時代に銅鐸が発見されており、近畿を中心とした銅鐸分布域における本州西端域にあたる出土になるそうです。
墓については、美郷町沖丈遺跡で弥生前期の配石墓、江津市波来浜遺跡で弥生中期の方形貼石墓、邑南町順庵原遺跡で弥生後期の四隅突出型墳丘墓が見つかっており、各時期の特徴的な墓制が認められるようです。
石見地域は東西に長く、様々な河川が南北を流れているため、一見すると地域としての纏まりが希薄なように見えます。しかし、いろいろな考古資料の分布を捉えると、内陸部の中国山地にも東西のルートを見いだすことができ、こうしたルートも視野に入れて、石見地域を捉えなおし、地域像を再構築していく必要があることを述べて、講座の結びとなりました。
次回のアシカル講座は、第138回「石見の山城~尼子・毛利・大内の争奪の舞台~」【7/15】になります。皆様のご参加をお待ちしています。
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