第141回アシカル講座「弥生墳墓からみた出雲と備後の交流」を開催しました。

 本日午後は、第141回アシカル講座「弥生墳墓からみた出雲と備後の交流」を開催しました。この講座は、令和5年度アシカル講座第2ステージ「古代出雲と諸地域の交流を探るII」の第1弾です。

 今回は、当館の会下和宏 館長が、弥生時代の墳墓からみた出雲地域・臨海部と備後北部・中国山地との交流について解説しました。

 まず、弥生時代前期に作られた配石墓についての解説がありました。配石墓とは、複数の石を木棺墓や土壙墓の上に配置した墓のことです。松江市・堀部第1遺跡や美郷町・沖丈遺跡などのほか、広島県北広島町・岡ノ段C地点遺跡などに事例があり、出雲臨海部や江の川中・上流域に分布しています。こうした配石墓は縄文時代の墓制を引き継いだものと朝鮮半島にルーツが求められるものとがあるようですが、副葬された碧玉製管玉は朝鮮半島からもたらされたものがみられます。

 つづいて、紀元前1世紀頃の弥生時代中期中葉頃になると、方形の墳丘に貼石を施した方形貼石墓が出現します。方形貼石墓は、丹後から石見の日本海臨海部と江の川上流域の三次盆地などに分布します。三次盆地では、こうした方形貼石墓のなかから方形墳丘の四隅が突出した四隅突出型墳丘墓が出現します。広島県三次市・陣山墳墓群は、紀元前1世紀頃・弥生時代中期後葉の最も古い四隅突出型墳丘墓になり、石の並べ方がよく似た突出部をもったものが出雲市・青木遺跡でも見つかっています。当時の出雲と備後北部との交流を示す事例の一つになると考えられます。

 四隅突出型墳丘墓は、弥生時代後期前半になると三次盆地と鳥取県西部に分布しますが、弥生時代後期後半~終末期には出雲地方を中心に多くみられるようになります。3世紀前半頃・弥生時代終末期の四隅突出型墳丘墓である三次市・矢谷墳丘墓からは、山陰系土器なども出土しており、出雲と備後北部との交流を示すものといえます。

 聴講者からは、他地域から搬入された大きな土器は担いで移動させたのか?出雲で見つかる吉備系の土器は備後ルートでもたらされたのか?といった熱心な質問がなされました。 

 次回は、奈良時代の古代寺院の瓦からみた出雲と備後の交流の話、第142回アシカル講座「古代瓦からみた出雲と備後の交流」【3/23】になります。皆様のご参加をお待ちしております。

コメント