【島根大学の偉人1】著作権の父,ウィルヘルム・プラーゲ博士

Dr. Wilhelm Plage(1888~1969) 

島根大学の前身校である旧制松江高校でドイツ語を教えていたウィルヘルム・プラーゲ博士は,わが国に著作権概念が普及するきっかけをつくった「著作権の父」として評価されています。

ベルリン大学で法律と日本語を学び,ドイツ帝国外務省に入省,明治45年から大正2年まで在日本ドイツ大使館に勤務していました。

その後離日した後,再来日し,大正11~14年,旧制松江高等学校のドイツ語教師として教鞭をとりました。日本語が非常に堪能、授業は厳格で生徒からは恐れられていたそうです。

その後,ハンブルグ大学で博士号をとり,昭和3年に再々来日して,旧制松山高校(現在の愛媛大学),昭和4年4月~昭和6年3月末,旧制一高,昭和5年3月末~昭和8年12月,旧制府立高校でドイツ語を教えています。

昭和6年8月には,東京に事務所をおき,ヨーロッパの著作権者の代理人として,著作権使用量の取立業を始めました。このことによってNHKで洋楽の放送ができなくなるなど,「プラーゲ旋風」という騒動になりました。

この騒動をきっかけとして,「JASRAC(日本音楽著作権協会)」が結成されるなど,わが国における著作権法の遵守が進んだといわれています。

博士が松江でくらした官舎は,現在も城下町のなかにひっそりと残されています。
プラーゲ博士(島根県大根島にて,大正11年4月)
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