第75回島根大学ミュージアム市民講座「横穴式石室にみる古墳時代後期の地域関係~九州・山陰・近畿」を開催

 本日、第75回島根大学ミュージアム市民講座「横穴式石室にみる古墳時代後期の地域関係~九州・山陰・近畿」を開催しました。この講座は、平成26年度島根大学ミュージアム市民講座第3ステージ「出雲における文化交流の歴史」の第2弾になります。

 今回は、角田徳幸博士(島根県教育委員会・島根大学嘱託講師)に講師となっていただき、古墳時代後期(6世紀頃)の出雲地域の古墳でみられる横穴式石室について解説をしていただきました。

 出雲地域の横穴式石室のうち、薄井原古墳(松江市)のものは、石室入口に付く羨道(せんどう)が片側に寄っている片袖式と呼ばれています。これは、京都府の物集女車塚古墳と形態が似ていることから、近畿勢力との結びつきが想定されています。

 一方、出雲東部では、大きな板石を壁や天井にした横穴式石室が特徴的に分布しています。これは、石棺が大型化して石室になったようにみえることから石棺式石室と呼ばれています。飯梨岩舟古墳(安来市)や古天神古墳(松江市)が有名です。出雲の石棺式石室は、熊本県にある宇賀岳古墳など、肥後の石室と類似した要素がみられ、この地域から伝播してきたものと考えられています。このことから、当時、肥後と出雲との間に何等かの政治的な関係が想定されているようです。

 以上のように、古墳時代後期において、様々な地域間交渉があったことが、横穴式石室の形態から読み取ることができます。参加者からは多くの質問がなされ、関心の高さがうかがえました。

 次回は、中世出雲に見るもうひとつの出雲神話-日本海からインドへ-」(2/21)です。ご参加をお待ちしております。
 

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