第114回島根大学総合博物館アシカル講座「地図から読み解く石見の集落 ~ なぜ石見は過疎発祥の地となったのか ~」を開催しました。

 本日午後、第114回島根大学総合博物館アシカル講座「地図から読み解く石見の集落 ~ なぜ石見は過疎発祥の地となったのか ~」を開催しました。この講座は、『石見学III』シリーズ(まつえ市民大学連携講座)の最終回になります。
 今回は、中山間地域研究の第一人者、作野広和先生(島根大学学術研究院教育学系教授・島根大学総合博物館兼任研究員)から、石見地域における集落の立地や様相について解説していただきました。
 はじめに、石見地域の概要や人口動態分析についての解説がありました。過疎化というと戦後の高度経済成長期からというイメージがありますが、意外にも石見では、山間部を中心にして戦前から人口減少が始まっていたようです。
 山がちな石見地域では、伝統的にたたら製鉄、石州瓦・石見焼生産、木炭生産などの産業によって生計がたてられてきました。現在、石見の山間部にある限界集落は、炭焼きやたたら製鉄などを行っていた人々が暮らしてきたようです。
 産業構造の転換によって、こうした伝統産業が衰退していくなかで、石見中山間地域における過疎化は進行していきました。日本全体の人口減少も進んでいくなか、中山間地域における過疎化の進展は抗えない大勢です。しかし、作野先生は10年前から地域に「松平ラボ」「邑南ラボ」などを開設し、学生や地域の方とともに地域活性化の研究・実践活動を進めてこられました。このほかにも、石見地域では地元の方やU・Iターンで移住された様々な人が、事業やイベントなどを行っておられるとのことでした。
 過疎問題の解決について、画一的、マニュアル的な処方箋は簡単には見つけられないのかもしれませんが、それぞれの地域で知恵を出し実践しながら地域コミュニティを活性化していくことが必要なのだと思いました。

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