本日午後は、第143回アシカル講座「『出雲国風土記』からみた出雲と備後の交流」を開催しました。この講座は、令和5年度アシカル講座第2ステージ「古代出雲と諸地域の交流を探るII」の最終回になります。
今回は、古代の文献史学を専門とされている橋本 剛 先生(島根県教育庁 文化財課 古代文化センター 主任研究員)をお招きし、奈良時代の『出雲国風土記』にみえる交通路の記述から、出雲と備後との交流について解説していただきました。
はじめに、奈良時代の733年に完成した『出雲国風土記』について紹介がありました。『出雲国風土記』は全国で唯一のほぼ完本で残る風土記です。交通路の記載が充実しているのが特徴のひとつで、古代の交通を考えるうえでも有意義な史料といえます。
つぎに『出雲国風土記』の交通路の記載から、出雲と備後を結ぶルートについて解説がありました。『出雲国風土記』によれば、5つのルートが記載されており、「剗(せき)」と書かれた関所が常に設置してあった道と常に設置してなかった道とがあるようです。
出雲を通る公の道としては「山陰道」があげられますが、都から出雲に至るまで、必ずしもこの道をすべて利用していたわけではないようです。色々な史料を分析すると、都から「山陽道」を経由し、吉備から北上して出雲に公文書が運ばれることもありました。『出雲国風土記』に記載された出雲と備後を結ぶルートも、こうした公的な情報伝達などに利用された可能性があったと考えられます。
令和5年度アシカル講座第2ステージ「古代出雲と諸地域の交流を探るII」はこれで終了です。来年度からのアシカル講座新シリーズにご期待ください。ひきつづきよろしくお願い致します。
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