1850(嘉永3)年6月27日(0歳) ギリシャ・レフカダ島にて誕生
1852(嘉永5)年(2歳) 父の家があるアイルランド・ダブリンに移住
1854(安政元)年(4際) 父が西インドに赴任。一人となった母は精神を病み、ギリシアのセリゴ島へ帰国。ハーンは、サラ・ブレナン大叔母と暮らし始める。
1856(安政3)年(6歳) 父母が離婚
1863(文久3)年(14歳) フランスの神学校に行く。帰国し、セント・カスバーツ校入学
1866(慶應2)年(16歳) 学校で遊んでいる最中に事故で左目を失明。父は西インドから帰国途中に病気で死去。大叔母は破産
1867(慶應3)年(17歳) セント・カスバーツ校退学。イギリス・ロンドンに行く。
1869(明治2)年(19歳) イギリス・リバプールからアメリカ合衆国オハイオ州シンシナティに渡る。
1874(明治7)年(24歳) シンシナティ・インクワイアラー社に入社。アリシア・フォリー(マティ)と結婚
1875(明治8)年(25歳) インクワイアラー社退社
1877(明治10)年(27歳) 離婚。ニューオーリンズへ行く。
1877(明治10)年(27歳) 離婚。ニューオーリンズへ行く。
1890(明治23)年(40歳) ニューオーリンズ万国博覧会で出会った日本文化、英訳『古事記』の影響で日本に行くことを決意。4月4日横浜港に着く。7月、服部一三の斡旋で、島根県尋常中学校(現 島根県立松江北高等学校)と島根県尋常師範学校(現 島根大学)の英語教師に任じられ、8月30日に松江に到着。
1891(明治24)年1月(40歳) 中学教頭・西田千太郎のすすめで、旧松江藩の士族・小泉湊の娘・小泉節子と結婚。松江の根岸家が空き家となっていたので借用する(国史跡・小泉八雲旧居)。
1891(明治24)年11月(41歳) 熊本市の第五高等学校(現 熊本大学)の英語教師。長男 一雄 誕生
1894(明治27)年(44歳) 『知られぬ日本の面影』出版。神戸市のジャパンクロニクル社に就職。神戸に転居
1891(明治24)年11月(41歳) 熊本市の第五高等学校(現 熊本大学)の英語教師。長男 一雄 誕生
1894(明治27)年(44歳) 『知られぬ日本の面影』出版。神戸市のジャパンクロニクル社に就職。神戸に転居
1896(明治29)年(46歳) セツと正式に結婚。帰化し「小泉八雲」と名乗る。東京帝国大学文科の英文学講師
1897(明治30)年(47歳) 次男 巌 誕生
1897(明治30)年(47歳) 次男 巌 誕生
1899(明治32)年(49歳) 三男 清 誕生
1903(明治36)年(53歳) 東京帝国大学 退職(後任は夏目漱石)。長女 寿々子 誕生
1904(明治37)年3月(54歳) 早稲田大学の講師
1903(明治36)年(53歳) 東京帝国大学 退職(後任は夏目漱石)。長女 寿々子 誕生
1904(明治37)年3月(54歳) 早稲田大学の講師
1904(明治37)年9月26日(54歳) 狭心症により東京の自宅で死去。贈従四位(1915年)。墓は東京の雑司ヶ谷霊園
【作品】
• 『知られぬ日本の面影』(Glimpses of Unfamiliar Japan) 1894年
• 『東の国より』(Out of the East) 1895年
• 『心』 (Kokoro) 1896年
• 『仏陀の国の落穂』(Gleanings in Buddha-Fields) 1897年 「人形の墓」ほか
• 『霊の日本にて』(In Ghostly Japan) 1899年
• 『影』(Shadowings) 1900年
• 『日本雑録』(A Japanese Miscellany) 1901年
• 『骨董』(Kotto) 1902年
• 『怪談』(Kwaidan) 1904年
【作品】
• 『知られぬ日本の面影』(Glimpses of Unfamiliar Japan) 1894年
• 『東の国より』(Out of the East) 1895年
• 『心』 (Kokoro) 1896年
• 『仏陀の国の落穂』(Gleanings in Buddha-Fields) 1897年 「人形の墓」ほか
• 『霊の日本にて』(In Ghostly Japan) 1899年
• 『影』(Shadowings) 1900年
• 『日本雑録』(A Japanese Miscellany) 1901年
• 『骨董』(Kotto) 1902年
• 『怪談』(Kwaidan) 1904年
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