本日、第159回アシカル講座「遺跡が語る石見銀山のスゴさとは? ~発掘調査30年の成果から~」を開催しました。本講座は、地質学・考古学・歴史学の視点から世界遺産・石見銀山について学ぶ、令和8年度アシカル講座第1ステージ「石見学V ~ 発見499年!世界遺産・石見銀山を学びなおす」の第1弾です。
今回は、中田健一先生(大田市教育委員会 石見銀山課 課長補佐)にご出講いただき、石見銀山のこれまでの発掘調査成果やその意義について解説をいただきました。
石見銀山遺跡は、1983(昭和53)年度に初の発掘調査のメスが入り、1991(平成3)年度から継続的な調査がなされるようになりました。さらに1996(平成8)年には世界遺産登録に向けて、石見銀山遺跡発掘調査委員会が設置され、より本格的な調査が始まりました。
銀山本体である仙ノ山では、山頂部の石銀藤田地区を始め、その周辺の本谷地区、於紅ヶ谷(おべにがたに)地区、栃畑谷(とちはただに)地区、出土谷(だしつちだに)地区などで丁寧な発掘調査が継続され、多大な成果をあげてきました。なかでも灰吹法による鉛を用いた銀製錬で出来た貴鉛や灰吹銀の実物の発見、製錬がなされた炉跡や多くの建物跡の検出などが特筆されます。
鉱山町である大森町でも宮ノ前地区で銀の製錬炉跡が多数検出されています。また、銀の積み出し港である温泉津(ゆのつ)温泉街の温泉津地区では、16世紀末から17世紀初頭の遺物が多数見つかりました。中国・朝鮮・ベトナム産の陶磁器が多量に出土しているほか、中国にルーツがあり沖縄などでもみられる魔除けの石碑「石敢當(せきかんとう)」や海外にみられるような装飾が施された金属製の首飾りなども出土しており、当時の温泉津港の国際交流を物語っています。
30年以上に及ぶこれまでの継続調査によって、労働集約によって大量に銀生産がなされた鉱山であったこと、近代以前の銀製錬工程が科学的に解明されたこと、操業終了後の改変が少ない稀有な鉱山であること、海外の遺物が多く出土し国際色豊かだったことなどの成果があがっています。石見銀山が世界遺産としての価値を有した世界的にも類例のない鉱山遺跡であることが理解できました。また、こうした成果が、長年にわたって調査を推進してこられた関係者の皆様のご尽力の賜物であることを改めて感じさせられました。
次回は、「石見銀山の衰微と開発・経営の継続」(7/25)です。皆様のご参加をお待ちしています。


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