Dr. Fritz Karsch (1893~1971)
大正14年~昭和14年、旧制松江高校で,プラーゲ博士の後任として,ドイツ語の教鞭をとり,多くの人材を育てました。
その後、終戦まではドイツ大使館に勤めました。
もともと小泉八雲の影響で来松し、日本の宗教や哲学、文化にも高い関心をもっていました。また、ひとの認識の発展過程を考究する「人智(じんち)学」を提唱したシュタイナーを日本に紹介するなど、日本の哲学史のうえでも重要な人物です。
教え子には,「長崎の鐘」著者として有名な永井隆博士(元長崎医科大学教授)など,多くの著名人がいます。
博士が暮らした外国人教師宿舎は,城下町のなかに今も残されています。
【関連リンク】
・歴史の狭間に埋もれた教育界の偉人・カルシュ博士(カルシュ博士顕彰会)
・フリッツ・カルシュ(Wikipedia)
【参考文献】
・若松秀俊 2007『四つ手網の記憶 松江を愛したフリッツ・カルシュ』ワンライン
大正14年~昭和14年、旧制松江高校で,プラーゲ博士の後任として,ドイツ語の教鞭をとり,多くの人材を育てました。
その後、終戦まではドイツ大使館に勤めました。
もともと小泉八雲の影響で来松し、日本の宗教や哲学、文化にも高い関心をもっていました。また、ひとの認識の発展過程を考究する「人智(じんち)学」を提唱したシュタイナーを日本に紹介するなど、日本の哲学史のうえでも重要な人物です。
教え子には,「長崎の鐘」著者として有名な永井隆博士(元長崎医科大学教授)など,多くの著名人がいます。
博士が暮らした外国人教師宿舎は,城下町のなかに今も残されています。
カルシュ博士(昭和13年頃,官舎庭にて) |
・歴史の狭間に埋もれた教育界の偉人・カルシュ博士(カルシュ博士顕彰会)
・フリッツ・カルシュ(Wikipedia)
【参考文献】
・若松秀俊 2007『四つ手網の記憶 松江を愛したフリッツ・カルシュ』ワンライン
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