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松江高校本館 |
旧制高等学校とは、1950年まであった高等教育機関のひとつで、最終的に全国に39校ありました。最も古く創設された旧制一高から旧制八高までは、「ナンバースクール」と呼ばれ、それ以外は、「ネームスクール」と呼ばれています。
当時の松江高校は、「談論風発を日々の生活の旨とした自由な校風(故藤田田氏・談)」だったといわれています。
校地の選定と開校
敷地は、大正8(1919)年6月、松江市奥谷千手院後方一帯、八束郡川津村大字菅田、津田村大字西津田、法吉村大字国屋二ツ池附近、松江市内中原の5ヶ所にしぼられ、文部省の視察によって、現在の場所(川津村大字菅田)に決定されました。これには、買収価格や土工費の安さが勘案されたようです。
工事は、大正9(1920)年5月に着工し、翌年3月までに、グラウンドを除く整地が完了しました。
大正10(1921)年度より開校することになりましたが、校舎の建設が間にあわず、当初は、県立松江中学校の5教室を利用していました。
大正10(1921)年12月20日に、ようやく木造2階建本館が竣工し、大正11(1922)年1月から新校舎での授業が始まりました。
著名な教官・出身者 島根大学の著名人>> ・ウィルヘルム・プラーゲ博士 ・・・著作権の父。プラーゲ旋風をおこす。 ・フリッツ・カルシュ博士 ・・・第2の小泉八雲と呼ばれる哲学者。 ・福本和夫 ・・・初期共産党のエース。「福本イズム」として一世風靡。 ・永井隆博士(元長崎医科大学教授) ・山本清・島根大学名誉教授(8期文甲) 参考文献 ・島根大学開学三十周年史編集委員会編『島根大学史』1981年 参考資料 ・松江高校歴代校長・外国人教師 ・青春の歌 ・校章 関連ページ ・旧制松江高等学校100周年 ・インターネット企画展示「写真でみる島根大学の歴史I」 |
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