2017年2月22日水曜日

本日の団体見学:奥出雲町の皆様

本日は、奥出雲町から島根大学の視察にいらっしゃり、ミュージアムの見学もされました。
当館所蔵の貴重な奥出雲町・雲州算盤製作用具も興味深く見学していただきました。ありがとうございました。

木材の樹種鑑定

 島根大学ミュージアムは、展示・普及啓発活動以外に、学生教育や調査研究も行っています。
 写真は、遺跡から出土した縄文時代の材をプレパラート標本にする作業スペースです。技術補佐員が1点1点、カミソリで切片を作っていく根気のいる作業です。
 これを鑑定して、当時、遺跡にどんな木が生えていたのか、植生を復元していきます。
 先日は、博物館実習に来ていた学生にも、このプレパラート作製作業を体験してもらいました。

2017年2月18日土曜日

第6回島根大学ミュージアム特別講座in広島 part2「『出雲国風土記』と掘り出された古代の道」を開催しました。

 2月18日(土)、広島市まちづくり市民交流プラザ(広島市中区)にて、第6回島根大学ミュージアム特別講座in広島 part2「『出雲国風土記』と掘り出された古代の道」を開催しました。

 この講座は、平成25年度に島根大学ミュージアム特別講座in広島「出雲文化へのいざない」を開催した際、大変好評で、再度の開催要望が多く寄せられたことから、パート2として企画したものです。

 今回の講師は、大橋泰夫先生(島根大学法文学部教授・島根大学古代出雲プロジェクトセンター長)が務められ、古代の道路について解説されました。

 はじめに、古代律令国家が建設した、都から各地にのびる道路(七道)や駅伝制について説明がありました。また、七道のなかの山陰道や山陽道の具体的なルートや、いつ頃、道路が造られたのかについて解説がありました。さらに、近年、島根県内各地の遺跡で発見されている山陰道、隠岐道、駅家の実態について、スライドを交えて紹介していただきました。

 今年度、6回にわたって開催してきた島根大学ミュージアム特別講座in広島 part2 は、今回で最終回となりました。毎回、広島の皆様に熱心に聴講していただき、まことにありがとうございました。

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2017年2月13日月曜日

松江地区・地歴公民研でフリッツ・カルシュ博士と島根大学旧奥谷宿舎について解説

 本日は、松江市内高校の社会科関係の先生方で構成される、松江地区・地歴公民研でフリッツ・カルシュ博士島根大学旧奥谷宿舎について解説させていただきました。
 島根大学旧奥谷宿舎(島根大学サテライトミュージアム)に集まっていただき、大正13年に旧制松江高校外国人宿舎として建てられた建物の解説や松江高校でドイツ語を教えられたフリッツ・カルシュ博士の履歴やエピソードについて紹介しました。
 また、カルシュ博士の教え子である永井隆博士花森安治についても展示を見学していただきました。
 短時間でしたが、カルシュ博士について知っていただくことができ、有意義な会でした。どうもありがとうございました。

2017年2月12日日曜日

第94回島根大学ミュージアム市民講座「大原郡家の移転について-雲南市・郡垣遺跡の調査成果を中心に-」(まつえ市民大学連携講座)を開催

 本日、松江スティックビルにて、第94回島根大学ミュージアム市民講座「大原郡家の移転について-雲南市・郡垣遺跡の調査成果を中心に-」(まつえ市民大学連携講座)を開催しました。この講座は、平成28年度島根大学ミュージアム市民講座第2ステージ「"古代出雲"の交通ネットワークを探る」(兼:まつえ市民大学連携講座)の最終回になります。

 本日の講師は、島根大学法文学部山陰研究センター「『出雲国風土記』の学際的研究」プロジェクトの共同研究者でもある志賀 崇先生(雲南市教育委員会)でした。

 今回は、飛鳥時代から奈良時代の出雲国大原郡(現在の雲南市北部)の郡家(郡役所)がどこにあったのかについて、最新の調査研究成果をもとにお話していただきました。
 733年編纂の『出雲国風土記』によれば、大原郡の郡家は、旧郡家から新郡家に移転したとあり、新郡家のほうは現在のJR木次駅近くにあったと考えるのが定説となっています。一方、旧郡家のほうは、風土記に記載された方位に混乱があることから、さまざまな説がありました。しかし、2006年、雲南市大東町仁和寺にある郡垣遺跡で、大型の掘立柱建物跡が見つかりました。この建物跡の丁寧な分析によって、現在、ここが7世紀末から8世紀前半頃の大原郡の旧郡家跡と考える説が有力となっています。

 なぜ郡家が移転したのかについては、在地の有力豪族が交替したからという説のほか、出雲国内の交通路の変化が要因になったという説の紹介がありました。新郡家があるJR木次駅付近は、斐伊川の水運にアクセスする利便性がよく、『出雲国風土記』に書かれた、飯石郡家へ向かう古代の「南西道」と仁多郡家へ向かう古代の「東南道」の分岐点になります。現在の雲南市木次町もそうですが、こうした交通ネットワークの拠点の地であったことが、ここに郡家を移転させた要因になったとみるわけです。

 本日は、雪が降るあいにくの天候でしたが、多くの方々にわざわざ会場まで足を運んでいただき、熱心に聴講していただくことができました。ご清聴ありがとうございました。

2017年2月11日土曜日

雪のなかの島根大学旧奥谷宿舎

雪が積もった本日の松江ですが、島根大学旧奥谷宿舎(サテライトミュージアム)は今日も開館しております。明日も予定通り開館しますので、お気軽にお越し下さい。

開館日時:土日祝日 10:00~17:00
アクセス:http://museum.shimane-u.ac.jp/okudani_information.html



2017年2月10日金曜日

「雪下ろしの雷」

1時間前までは晴れていたのですが、キャンパスはあっという間に白くなっていました。時々、「雪下ろしの雷」も鳴っています。

2017年2月4日土曜日

第5回島根大学ミュージアム特別講座in広島 part2「東アジアのなかの古代出雲」を開催しました。

 2月4日(土)、広島市まちづくり市民交流プラザ(広島市中区)にて、第5回島根大学ミュージアム特別講座in広島 part2 「東アジアのなかの古代出雲を開催しました。

 この講座は、平成25年度に島根大学ミュージアム特別講座in広島「出雲文化へのいざない」を開催した際、大変好評で、再度の開催要望が多く寄せられたことから、パート2として企画したものです。

 今回の講師は、古代史を専門に研究されている大日方克己先生(島根大学法文学部教授)が務められ、東アジア世界の視点から奈良・平安時代の出雲について解説されました。

 まず、『出雲国風土記』に記述された「国引き神話」について紹介し、海の彼方からコシ(北陸)や新羅の一部を引っ張ってきたという神話の世界観が、国際交流が盛んだった天平という時代を背景にしている可能性を説明されました。『出雲国風土記』が編纂された天平時代は、遣唐使、新羅使、遣新羅使などによる交流が盛んに行われていたのです。

 なお、「国引き神話」にみられるような、陸地が漂ったり、引き寄せられたりする話は、中国の古典(5世紀の『南越志』)や中世の出雲国鰐淵寺・伯耆国大山寺の文書や「千家家文書」などにもみられるようです。

 また、7世紀から8世紀にかけて、朝鮮半島や中国東北部には、統一新羅や渤海国が成立し、活発に海を介した交易が行われるようになりました。9世紀には、渤海使が日本海を渡って山陰にやって来るようになり、黒テンの毛皮や経典、なかにはタイマイの酒杯といった珍奇な文物がもたらされました。

 こうした日本海を介した山陰と大陸との交流は、渤海国が滅亡した10世紀以降、衰退していき、博多を拠点にした交易に集約されていくようです。しかし、室町・戦国時代になると、再び山陰と朝鮮半島との交易・交通が発展していき、石見銀山のような世界的な鉱山の開発にもつながっていくようです。

 会場は今回も満席で、地勢的に大陸と向かい合った古代出雲を舞台にした東アジアとのダイナミックな交流について、広島の方々に考えていだくことができたようです。
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