2009年6月27日土曜日

第12回島根大学ミュージアム市民講座「島根周辺での日本海の形成は“洪水”とともに始まった?島根半島の地層が記録する日本海の成り立ち」 を開催

 本日は、第12回の市民講座を開催しました。今回は、総合理工学部で堆積学の調査研究をされている酒井哲弥先生から、日本海の成り立ちについて、最新の研究成果をお話いただきました。

今から1700~1500万年前、地球のプレート運動によって、ユーラシア大陸から日本列島が離れていきました。その際に、大陸と列島との間に巨大で深い割れ目のような地形ができていきました。最終的にはその地割れの部分がさらに割けて、海とつながった際、海水が洪水のように流入し、今の日本海が形成されたということです。

島根半島には、古浦層というシジミやカキの化石を含む地層があります。こうした地層の観察から、上のような日本海の成り立ちが分かってきたというお話でした。

私たちの身近にある日本海ですが、こんなスケールの大きな成り立ちの歴史をもっているとは驚きでした。参加者の方々も熱心に耳を傾けておられました。

12回目を数える市民講座ですが、だんだん参加者が増えて部屋が狭くなってきました。これからも質の高い講座を提供していけるように尽力していくつもりです。

 次回は、7月11日(土)、林正久先生による「松江平野の土地条件と水害」です。ご期待ください。


2009年6月25日木曜日

国登録文化財・島根大学旧奥谷宿舎の修復工事始まる

 今週から、大正時代の洋風建築、島根大学旧奥谷宿舎(旧制松江高校外国人宿舎)の修復工事が本格的に始まっています。
 多くの方々から浄財をいただき、これを元に外見は建築当初の状況に復元する予定です。
 この工事には、本学の施設課を始め、業者の方々に、大変お世話になっているところです。
 残りの良い部分はなるべく残しつつ、傷んだ箇所のみ修復します。これからこの建物がどのように生まれ変われるのか責任重大です。
屋根は、瓦葺きに戻します。
玄関の石敷きの下から元の石段が現れました。
床の畳や壁を取り払うと元の洋間が現れました。 

夏休み子どもミュージアム体験教室「川の健康診断をしよう!」

①川にはどんな生き物がいるのかな? つかまえてみよう!
親子で川にはいり、石の下や、水草の中にいる生き物をつかまえてみよう!生き物の種類を調べて、川の環境(かんきょう)を判定。とった生き物は、お持ち帰りOK!

②川の水質(すいしつ)を調べよう!
プロが使う検査道具(透視度計、CODパックテスト)を使って、川の水質を調べてみましょう。私たちの川はきれいなのかな?汚れているのかな?

日時:2009年07月25日(土) 10:00~11:30
場所:意宇川ふれあいの水辺(松江市八雲町日吉 サニーハイツ団地前)
対象:小学生(3年生以上)の親子 15組
講師:田中秀典(特定非営利活動法人 自然と人間環境研究機構,島根大学汽水域研究センター協力研究員)
参加費:50円(保険料)
持ってくるもの:タモ網・生き物をいれるもの(水そうなど)
その他:現地集合・現地解散。駐車場・トイレあり。 

申込方法: ハガキか電子メールかFAXにて、郵便番号・住所・参加者氏名(子ども・大人)・学年・電話番号を明記のうえ、7月17日(金)(消印有効)までに下の申込先までお願いします。 
※定員に達し次第、しめ切らせていただきます。

申込先:島根大学ミュージアム
〒690-8504 松江市西川津町1060
FAX 0852-32-6496 
電子メール:museum@riko.shimane-u.ac.jp

*詳細は、参加者が決定してから、郵送します。

主催:島根大学ミュージアム
後援:松江市教育委員会

2009年6月23日火曜日

川津小学校大学探検で,3年生の児童がミュージアムを見学

 午前中は,川津小学校の大学探検の一環で,児童30名がミュージアムにもやってきました。
 好奇心旺盛な子どもが多く,熱心に見学して,いろいろメモっていました。


2009年6月13日土曜日

「斐伊川百科」フィールド授業

 6/13(土)は,主に法文学部の先生方がやっておられる「斐伊川百科」フィールド授業の一環で,担当の先生方と一緒に宍道湖周辺にある遺跡や博物館を案内しました。

 コースは,
島根大学 → 日清戦争従軍紀念碑 → 青木遺跡 → 県立古代出雲歴史博物館 → 出雲大社やその周辺 →  新川基地(海軍航空基地跡) → 後谷遺跡(出雲郡家推定地) → 荒神谷遺跡・荒神谷博物館
日清戦争従軍紀念碑(出雲市平田町愛宕山公園)
 出雲大社では,本殿に修復工事のための覆いがかぶさり,60年に一度のなんとも言えない光景を見ることができました。
出雲大社
 県外から島根に来て間もない学生もいたようで,今回の授業で色々まわって見学できたことは,大変意義があったのではないかと思います。

2009年6月12日金曜日

第12回島根大学ミュージアム市民講座「島根周辺での日本海の形成は“洪水”とともに始まった?島根半島の地層が記録する日本海の成り立ち」

 今回は,ケニアやネパールなど世界を飛び回っておられるフィールドワークに根ざした研究者・酒井先生に,地元・島根半島の地質学的な話をしていただきます。ご期待ください。

講師:酒井哲弥(島根大学総合理工学部准教授・島根大学ミュージアム兼任研究員)
対象:市民・大学生・高校生など、どなたでも受講できます。
日時:平成21年6月27日(土) 午後1:00~2:30

お申込み:事前に「名前・住所・連絡先」を電話・ハガキ・FAX・メールなどで下記までお申し込み下さい。当日参加も可。 
【島根大学ミュージアム】〒690-8504 松江市西川津町1060
TEL・FAX 0852-32-6496  

2009年6月10日水曜日

【島根大学の偉人3】島根県の英語教育の父 バーソルド・アロンスタイン博士

Dr.Barthold Aronstein(1910~1986)

米国から派遣されたバーソルド・アロンスタイン博士は,昭和26~31年、島根大学で英語や教育学の教鞭をとりました。
アロンスタイン先生は、毎週水曜日、旧奥谷宿舎のダイニングルームで島根大学の教官・学生・市民などを招いて英会話教室を主宰され、その温厚な人柄から「アロンさん」という愛称で親しまれていました。

アロン先生に英会話を習った学生たちは、その後、アメリカに留学したり、県内の英語教師になるなどして、ご活躍されました。
博士が暮らした外国人教師宿舎は,城下町のなかに今も残されています。
アロンスタイン博士昭和27~28年頃(島根大学旧奥谷宿舎にて)
アロンスタイン夫妻
昭和27年4月(島根大学旧奥谷宿舎前にて)
国籍など 米国(ドイツ系ユダヤ人)。祖父の代にドイツから米国に移住。晩年は西ドイツで暮らす。
略歴
1910年10月23日生まれ
1946年2月(35歳) ジョージ・ワシントン大学入学
1946年9月(35歳) カリフォルニア大学転学
1948年2月(37歳) カリフォルニア大学卒業
1948年9月(37歳)~1950年6月(39歳) カリフォルニア大学授業担当助手
1949年2月(38歳) カリフォルニア大学 文学修士取得
1950年6月(39歳)~1950年8月 アイダホ教育大学講師
1951年2月(40歳) カリフォルニア大学 哲学博士取得
1951年5月1日(40歳)~1956年2月27日(45歳)
島根大学外国人教師(人文科学〔政治学、歴史学、英語、教育学〕担任)
      ・・・フルブライト交換教授として赴任。この間、島根大学旧奥谷宿舎に暮らす。
1984年10月19日頃~11月2日(74歳) 
教え子らに招かれ再来日。島根大学、旧奥谷宿舎など訪問。
1986年4月26日(75歳) 亡くなる。

*著名な言語学者でアウシュビッツでナチスに殺害されたフィリップ・アロンスタイン博士(Dr. Philipp Aronstein (1862 - 1942))は叔父。

参考文献・島根大学所蔵公文書
・溝上泰子1987「アロンさん」『底辺十六年/断想拾遺(4)』人類生活者・溝上泰子著作集第9巻、影書房

2009年6月9日火曜日

【島根大学の偉人2】永井隆らを育てたフリッツ・カルシュ博士

Dr. Fritz Karsch (1893~1971)

 大正14年~昭和14年、旧制松江高校で,プラーゲ博士の後任として,ドイツ語の教鞭をとり,多くの人材を育てました。
 その後、終戦まではドイツ大使館に勤めました。
 もともと小泉八雲の影響で来松し、日本の宗教や哲学、文化にも高い関心をもっていました。また、ひとの認識の発展過程を考究する「人智(じんち)学」を提唱したシュタイナーを日本に紹介するなど、日本の哲学史のうえでも重要な人物です。
 教え子には,「長崎の鐘」著者として有名な永井隆博士(元長崎医科大学教授)など,多くの著名人がいます。
 博士が暮らした外国人教師宿舎は,城下町のなかに今も残されています。
カルシュ博士(昭和13年頃,官舎庭にて)
【関連リンク】
東京医科歯科大学・若松秀俊教授によるカルシュ博士紹介HP
フリッツ・カルシュ(Wikipedia)

【参考文献】
若松秀俊 2007『四つ手網の記憶 松江を愛したフリッツ・カルシュ』ワンライン

2009年6月5日金曜日

【島根大学の偉人1】著作権の父,ウィルヘルム・プラーゲ博士

Dr. Wilhelm Plage(1888~1969) 

島根大学の前身校である旧制松江高校でドイツ語を教えていたウィルヘルム・プラーゲ博士は,わが国に著作権概念が普及するきっかけをつくった「著作権の父」として評価されています。

ベルリン大学で法律と日本語を学び,ドイツ帝国外務省に入省,明治45年から大正2年まで在日本ドイツ大使館に勤務していました。

その後離日した後,再来日し,大正11~14年,旧制松江高等学校のドイツ語教師として教鞭をとりました。日本語が非常に堪能、授業は厳格で生徒からは恐れられていたそうです。

その後,ハンブルグ大学で博士号をとり,昭和3年に再々来日して,旧制松山高校(現在の愛媛大学),昭和4年4月~昭和6年3月末,旧制一高,昭和5年3月末~昭和8年12月,旧制府立高校でドイツ語を教えています。

昭和6年8月には,東京に事務所をおき,ヨーロッパの著作権者の代理人として,著作権使用量の取立業を始めました。このことによってNHKで洋楽の放送ができなくなるなど,「プラーゲ旋風」という騒動になりました。

この騒動をきっかけとして,「JASRAC(日本音楽著作権協会)」が結成されるなど,わが国における著作権法の遵守が進んだといわれています。

博士が松江でくらした官舎は,現在も城下町のなかにひっそりと残されています。
プラーゲ博士(島根県大根島にて,大正11年4月)
関連リンク

2009年6月2日火曜日

【島根大学の貴重標本類4】アオウミガメ標本


アオウミガメ標本(全長約85cm)
学名 Chelonia mydas  カメ目 ウミガメ科 アオウミガメ属
写真は,ウミガメの甲と頭の標本です。

島根大学教育学部に古くから所蔵されていたもので,現在は島根大学山陰地域資料展示室で展示されています。

捕獲場所は不明ですが,おそらく山陰地域のどこかで見つかったものとみられています。

本標本の背甲は,上から見ると楕円形で,中央板が5個,その両脇に側板が4個ずつあることから,アオウミガメであることが分かります。これに対し,アカウミガメの背甲は,ハート形で中央板が5個,その両脇に側板が5個ずつあるのが特徴です。

ウミガメは,海中を広範囲に回遊しており,山陰地域にやってくるのは,主に夏で,冬になると南下します。

5~8月頃,アカウミガメは,主に南西諸島から関東地域までの太平洋沿岸砂浜で産卵します。しかし,山陰地域の砂浜でも稀にアカウミガメが産卵ふ化していることが確認されています。

ウミガメは,おとぎ話「浦島太郎」にも登場し,長寿や子宝,豊漁の象徴とされる地域もあるなど,縁起の良い動物といえます。島根県雲南市から出土した,有名な加茂岩倉遺跡10号銅鐸にはウミガメの絵が描かれており,弥生人にとっても何らかの信仰対象であったのかもしれません。

このように人間とかかわりの深いウミガメですが,20世紀にはいってからの乱獲,護岸工事による産卵場所の減少などで個体数が激減し,現在は絶滅危惧種に指定されています。